浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)9号 判決 1981年9月18日
原告 国
代理人 岩田栄一 中島重幸 阿南一徳 ほか三名
被告 吉田ひろみ
主文
被告は原告に対し金一八六万三四八〇円及び内金一六三万〇二八〇円に対する昭和四六年八月二四日から、内金二三万三二〇〇円に対する同年一二月二六日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の申立
一 原告
主文同旨の判決並びに仮執行宣言
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 被告は昭和四六年八月当時安藤姓で、日本大学に在学していたが、同学の友人宗像光子の誘いにより、菊井良治、島田昌紀(両名とも当時右大学学生)らが組織する「現代哲学芸術思想研究会」(以下「哲芸研」という。)に加入し、現代の政治体制若しくは社会機構に対する批判及び変革を志向する菊井の言動に共鳴していた。
哲芸研は会員のほか同調者も含めると約五〇名であつたが、昭和四六年五月頃主流派と反主流派に分裂し、菊井、島田、宗像及び被告は主流派として活動するとともに、武力革命思想に共鳴し武器奪取闘争を企てるようになつた。
(二) 新井光史は昭和四五年九月から昭和四六年三月まで陸上自衛隊朝霞駐とん地に勤務し、除隊後、駒沢大学第二部学生として在籍し、中央電測企業株式会社(東京都中央区所在)が経営する民宿「まつばら荘」(千葉県所在)の喫茶部責任者として稼働していたものであるところ、前記菊井の大学の先輩で、かつて左翼学生活動にも従事したことのある広田利美(当時右中央電測社員)を介して菊井と知り合い、行動を共にするようになつていた。
2 被告は、昭和四六年八月一一日頃東京都新宿区内の喫茶店「くじやく」において菊井らと同席した際、菊井から、島田が同月一二日頃から一週間被告の下宿に一緒にいたことにしてくれるようにとのいわゆるアリバイ工作を依頼されこれを引受け、さらに翌一二日頃国鉄新宿駅前の喫茶店「しみず」前において菊井から二〇〇〇円を手渡され、島田とともに武器奪取の目的に使用するから包丁を買つてくるよう指示され、東京都新宿区角筈地内の安藤金物店で柳刃包丁一丁を購入した。ついで、被告は菊井の指示により、同日午後八時過ぎ頃菊井、島田、広田らとともに東京都千代田区内幸町所在帝国ホテルに集合し、東京都練馬区光が丘一番所在の在日米空軍三四空軍基地(以下「グラントハイツ」という。)から、銃器を強取することの共謀を遂げたが、その際同ホテルでの菊井、島田の言動ことに島田が包丁で手に持つた包装紙を切りながら「これで刺したら、いつぺんに死ぬだろう。」などと言つたこと自衛官の制服が集合した部屋に置いてあつて、これを新井が着てみていたことなどを見聞していた。
翌一三日午前三時頃被告は広田の運転する乗用車で、新井、島田らとともにグラントハイツに赴いた。新井、島田は自衛官の制服姿で右乗用車より降り一方、被告は広田とアベツクを装つて車内に残り右基地正門の警備員から銃器を奪取する機会を窺つたが失敗に終つた。
被告は右車内で広田より「人を殺すんですよ。」などと聞かされ、また、当日の朝方、被告の下宿において菊井から「包丁を見て人を殺すと思わなかつたか。脅かしただけでは、向うもおとなしくしているか。」などと言われた。
3 被告は、昭和四六年八月一八日、菊井からの呼出で宗像とともに、東京都世田谷区烏山地内の喫茶店「ミラノ」に赴き、同所において、菊井から同月二一日に埼玉県和光市広沢一の二〇番地所在の陸上自衛隊朝霞駐とん地を襲撃して銃器を奪取する計画を打明けられるとともに、協力方を要請され、これを承諾した。
被告は、同月一九日から二〇日にかけ、宗像と共同で、奪取した銃器の運搬具としての縫いぐるみ人形を作り、ついで同月二一日午後四時頃、菊井の指示で、宗像と菊井らの待機する東京都新宿区新宿七丁目地内の国鉄新宿駅西口の喫茶店「タイムス」まで、自衛官の制服、ヘルメツトの入つたボストンバツグと布袋を運搬した。
4 島田、新井、菊井は、同年八月一五日午前四時頃東京都新宿区内西武新宿駅近くの喫茶店「ヴイレツヂゲート」に集合し同月二一日に陸上自衛隊朝霞駐とん地から銃器などを奪取する計画を実行に移すことを決め、ついで、同月二〇日正午過ぎ頃、千葉県木更津市富士見地内の国鉄木更津駅前の「ふじみ」ほか一か所の喫茶店において、自衛官の制服に着替えた新井、島田の両名が自衛官になりすまし、前記朝霞駐とん地内に侵入して警衛勤務中の自衛官に対し、前記柳刃包丁を突きつけて、同人の反抗を抑圧したうえ、弾薬庫から銃器、弾薬を強取することにつき最終的な共謀を遂げたのち、翌二一日午前三時頃、東京都新宿区新宿七丁目地内の国鉄新宿駅西口の喫茶店「タイムス」に集合し、右共謀にかかる武器奪取計画の実行につき各自の役割を確認しあつた。
そして、島田、新井の両名は、同日午後八時三〇分頃普通乗用自動車で前記朝霞駐とん地に赴き、右駐とん地内に侵入し、同日午後八時四五分頃右駐とん地七三四号隊舎東側路上において折から動哨勤務中であつた陸士長一場哲雄(当時二一歳)と出合うや、新井が一場に接近し、いきなり同人の腹部を右手拳で強打し、同人に組みついて膝蹴りを加え格闘となつた。そこへ、島田が、所携の柳刃包丁を振つて一場の右胸部などを数回に亘つて突き刺し、同人を右胸部刺創に基づく胸腔内出血により死亡せしめた。
5 被告は、菊井の指示により、同人らの右銃器強取の犯行を幇助する認識のもとに右犯行当時東京都板橋区内の東武鉄道東上線成増駅前の喫茶店「宮殿」において、新井からの連絡を菊井に取り次ぐなどして菊井らの犯行を容易ならしめた。
また、被告は、新井、島田が一場から奪取してきた警衛腕章の入つた縫いぐるみ人形を受取り、これを自己の下宿まで運搬し、右腕章の血痕を洗い落として畳の下に隠匿した。
6 右1ないし5のとおり、被告は、(1)菊井の指示により柳刃包丁を購入したこと(2)グラントハイツ強盗予備事件に実行行為者の一員として参加していること(3)朝霞駐とん地からの武器強取の犯行を幇助する認識のもとに、強取した銃器の運搬具たる縫いぐるみ人形を作つたこと(4)右人形を犯行に使用する自衛官の制服、制帽などとともに、菊井に手渡したこと(5)前記喫茶店「宮殿」において待機し、新井から菊井への連絡役をつとめたこと(6)新井から、一場陸士長より奪取した警衛腕章及び縫いぐるみ人形を受取り、自己の下宿に持込んだこと等菊井らによる犯行のため重要な行為をなしたものである。
そうすると、被告の行為は少くとも一場陸士長殺害の補助的行為に該当するものであり、民法七一九条二項に基づき、被告は、菊井らの共同行為者として本件犯行に対し連帯責任を負うべきである。
仮に、被告が強盗殺人の幇助意思を有しなかつたものとしても自衛隊の駐とん地内においては、警衛はもとより、銃器の保管が極めて厳重になされ、駐とん地内に不法に侵入して、保管されている銃器又は自衛官が所持する銃器の奪取については、人身上の危険が伴うこと、グラントハイツ襲撃の際、被告は、菊井から、人を殺すという話も聞かされていたこと、菊井らが銃器に異常な執着をもつていることを考えあわせれば、菊井らが銃器奪取の過程において自衛官の傷害あるいは殺人行為にまで及ぶことがありうることは被告において十分認識しえたものというべきである。
したがつて被告が右認識を欠いて菊井らの犯行を幇助したとするなら、あまりにも軽率というほかなく、被告は通常人としてもちいるべき相当の注意を欠いていたものといわねばならない。
すなわち、被告は、不注意により菊井らの犯行計画が自衛官の死傷という事態を招くものであるということを認識せず、かかる結果の発生防止につき何らの配慮もせずに、菊井らによる武器強奪を幇助する意思で、菊井の指示どおりに行動することにより同人らの本件強盗殺人若しくは強盗致死の遂行を容易ならしめ、一場自衛官の死亡という結果の発生に寄与したものであるから、共同不法行為者としての責任を負う。
7 一場は、陸上自衛隊朝霞駐とん地に所属する国家公務員であり、菊井らの本件犯行は、一場の公務執行中になされたものであるところから、原告は、一場の相続人の請求により、国家公務員災害補償法一五条、一八条の規定により次のとおり給付を行なつた。((一)、(二)については昭和四六年八月二三日、(三)、(四)については、同年一二月二五日)
(一) 遺族補償一時金 一五三万八〇〇〇円
旧人事院規則一六―〇の七条三項、防衛庁職員の災害補償に関する総理府令(昭和四一年総理府令四九号)一条一号により算出した平均給与(日)額一五三八円を右規則一一条の七一号により一〇〇〇倍した金額。
(二) 葬祭補償 九万二二八〇円
前項の平均給与額を国家公務員災害補償法一八条により六〇倍した金額。
(三) 防衛庁職員給与法の一部改正(昭和四六年法律一二三号)に伴う遺族補償一時金の追給分二二万円
(四) 右給与法の一部改正に伴う葬祭補償の追給分 一万三二〇〇円
8 原告は、被告に対し、国家公務員災害補償法六条一項により、一場自衛官の相続人が被告に対して有する損害賠償請求権を右給付金額合計一八六万三四八〇円の限度で取得した。
9 よつて、原告は被告に対し前項の求償権に基づき一八六万三四八〇円及び内金一六三万〇二八〇円に対する前記支払の日の翌日である昭和四六年八月二四日から、内金二三万三二〇〇円に対する前記追給分支払の翌日である同年一二月二六日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実中被告らが武力革命思想に共鳴し、武器奪取闘争を企てるようになつたとの点は否認し、その余の事実は認める。
同1(二)の事実中、新井が菊井と行動を共にするようになつたことは否認し、その余の事実は認める。
2 同2の事実中、被告が原告主張のようなアリバイ工作を引き受けたこと、菊井の指示で包丁を購入したこと菊井らと帝国ホテルに集合し翌日午前三時頃、新井、島田と共に広田運転の乗用車でグラントハイツに赴いたことは認めるが、右包丁購入が武器奪取の目的であつたこと、被告が菊井らとともにグラントハイツから銃器などを強取することの共謀を遂げたこと、被告が帝国ホテル内での菊井らの言動、ことに、島田が包丁で手に持つた包装紙などを切りながら「これで刺したらいつぺんに死ぬだろう。」などと言つたこと新井が自衛官の制服を着てみていたことなどを見聞していたこと、被告が広田とアベツクを装つたこと、及び広田から乗用車内で「人を殺すんですよ。」などと聞かされたこと、また、被告が菊井から「包丁を見て人を殺すと思わなかつたか。脅しただけでは、向こうもおとなしくしているか。」などと聞かされたとの点は、いずれも否認する。
新井、島田が、かねて準備してあつた自衛官の制服に着替えたこと、右両名がグラントハイツの警備員から銃器などを奪取する機会を窺つたが、その目的を遂げなかつたとの点は知らない。
3 同3の事実中、被告が原告主張のとおり、宗像と共に縫いぐるみ人形を作り下宿の自室から菊井らの待機する喫茶店「タイムス」まで、自衛官の制服、ヘルメツトなどの入つたボストンバツグと布袋を運搬したことは認めるが、被告が喫茶店「ミラノ」において菊井から朝霞駐とん地襲撃を打ち明けられ、これを承諾したとの点は否認する。
4 同4の事実は知らない。
5 同5の事実中、被告が新井から警衛腕章の入つた縫いぐるみ人形を受取つて菊井の指示により自己の下宿まで運搬し、右腕章の血痕を水で洗い落とし、これを部屋の畳の下に隠していたことは認めるが、右腕章が、新井、島田の両名により一場陸士長から奪取されたものであることは知らない。その余の事実は否認する。
6 同6の主張は争う。
被告は、一場に対する強盗殺人の幇助の故意は全くなかつたし、また、新井による殺人行為は現場において突発的になされたものであつて、被告には予見不可能であつたといわざるをえず、したがつて、被告は、右殺人に対する結果回避義務は負わない。
第三証拠 <略>
理由
一 本件犯行に至る経緯及び実行行為
被告が、昭和四六年八月当時安藤姓で、日本大学に在学していたこと、同学の友人宗像光子の誘いにより菊井良治、島田昌紀らが組織する哲芸研に加入したこと、右研究会は、会員、同調者合わせて約五〇名であつたが、同年五月頃主流派と反主流派に分裂していたこと、主流派には菊井を中心として宗像、島田、被告らがいたこと、昭和四五年九月から昭和四六年三月まで陸上自衛隊朝霞駐とん地に勤務していたが、除隊後、駒沢大学第二学部学生として在籍し、中央電測社が経営する民宿まつばら荘の喫茶部責任者として稼働していた新井光史が、広田利美(菊井の大学の先輩で、かつて左翼学生活動にも従事したことがあつたが、当時は中央電測社員)を介して菊井と知り合つたこと、被告が同年八月一一日頃菊井から島田のアリバイ工作を頼まれて、これを引き受け翌一二日頃菊井の指示により包丁を購入したこと、その後菊井らと帝国ホテルに集合し翌一三日午前三時頃、広田運転の乗用車で島田、新井らとともにグラントハイツに赴いたこと、被告が宗像と共同で奪取銃器の運搬用具である縫いぐるみ人形を作り下宿の自室から喫茶店「タイムス」まで自衛官の制服、ヘルメツトなどの入つたボストンバツグと布袋を運搬したこと、被告が新井から警衛腕章の入つた縫いぐるみ人形を受取つて下宿まで運搬し、右腕章の血痕を水で洗い落とし、これを自室の畳の下に隠していたことはいずれも当事者間に争いがなく、右事実に<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 被告は、昭和四五年三月、神奈川県横浜市立金沢高校を卒業し、同年四月、日本大学文理学部心理学科に入学し、間もなく右高校の同級生で親しい友人であつた宗像光子を介して菊井良治(昭和二四年四月生、当時、同大学同学部哲学科在学)と知り合い、同人が発起人となつて創設した学内学術研究サークルである哲芸研に入会した。
哲芸研の会員数は、当初二〇名位、会員以外の同調者を含めると五〇名位いたものの現代の政治・社会体制の変革を志向する菊井の過激な言動に同調できない者が脱会してゆき、菊井とその同調者らで大学問題政治若しくは社会思想に関する学習会が続けられ、被告も宗像とともに、これに参加していたが、翌四六年五月頃哲芸研は、菊井を中心として島田(昭和二六年生)宗像、被告らが属する主流派と反主流派に分裂した。
被告は、哲芸研に加入した頃から、菊井に対し好意を抱くようになり、菊井の思想、理論に対する理解からというよりも、同人に対する個人的感情から交際を続けていたが、同年七月下旬頃から下宿の自室を菊井が自由に使うことを承諾し、同人と肉体関係を結ぶ間柄になつた。
(二) 以上の間、菊井は、当時京都大学経済学部助手であつた滝田修こと竹本信弘のいわゆる武力革命思想に共鳴し、昭和四六年四月頃同人と会つて武器奪取闘争を企てるに至り、また島田は菊井の言動に共鳴して、いわゆる日大闘争を通じ菊井に密接に従つて行動しさらに前記新井は同年七月一二日頃菊井と知り合つたのち、菊井と行動を共にしていた。
(三) 被告は、昭和四六年八月一一日頃、東京都新宿区内の喫茶店「くじやく」において、菊井から、島田が翌一二日頃から一週間被告の下宿に被告と一緒にいたことにしてくれるようにとのいわゆるアリバイ工作を依頼され、何のためかの説明も受けぬまま、これを引き受けた。そして、島田は、その夜被告の下宿に泊つた。
翌一二日、被告は、国鉄新宿駅中央口前の喫茶店「しみず」前において、菊井から包丁を買つてくるよう指示され、二〇〇〇円を受け取つて、島田と共に東京都新宿区内角筈の金物店へ赴き柳刃包丁一丁を購入した。そして被告、島田はその足で、かねて菊井から指示されたとおり都内千代田区内の帝国ホテルの一室で、菊井、広田らと合流し、また、その席上新井(昭和二五年生)を紹介された。その場で菊井は、島田に前記包丁を出させ、これで紙を切るなどして切れ味を試しながら、「よく切れる、これで刺したらいつぺんに死ぬだろう。」などと言つた。
菊井らは、被告に対し、今後の犯行計画などについては話さなかつたが、被告は、菊井の右のような言動、集合した部屋に自衛官の制服が置いてあり、新井らがこれを着てみていたことなどを見聞し、また、同年七月頃、宗像が長島某から菊井より群馬県内の自衛隊基地から銃を取つてくるよう頼まれたことにつき相談された旨同女から聞いていたことなどを思い起こし、菊井らが、自衛隊の駐とん地などから武器を奪取しようと計画していることを知つた。
(四) 菊井、新井、島田、被告及び広田らは、右ホテルにおいて、グラントハイツから武器を奪取することの共謀を遂げ、右共謀に基づき、翌一三日午前三時頃、広田の運転する普通乗用自動車に被告新井、島田が同乗し途中で新井、島田が自衛官の制服に着替えたうえ都内練馬区光が丘一番所在の在日米軍グラントハイツ正門前に到つた。なお、右車中において、新井は島田に対し「私が警備員をうまく誘つて表に連れ出してくるから君は車の陰に隠れていてくれ。私が帽子の庇に手をあてたら、相手を刺せ。」と指示し、島田もこれを了承した。
広田は右正門付近に停車し、被告と共に車内に残つてアベツクを装いながら待機し、新井、島田らは降車して右正門の警備に従事していた警備員から銃器を奪取する機会を窺つたが結局断念した。
(五) 被告は右車内で待機中、広田から「人を殺すんですよ。」と言われたので、右グラントハイツ襲撃失敗後菊井と自分の下宿に戻つた際、菊井に対し、右襲撃に際し、人を殺す意図があつたか否かにつき問いただしたところ菊井は「包丁を見て人を殺すと思わなかつたか、脅しただけでは、向こうもおとなしくしているか。」などと答えた。
(六) 菊井、島田、新井は右グラントハイツ襲撃計画が失敗に終つたため、陸上自衛隊朝霞駐とん地からの武器奪取を企図するに至り同年八月一四日、被告は菊井から右企図するところを打ち明けられるとともに、被告において、当日は都内板橋区成増の喫茶店に行き、連絡役をしてほしい旨依頼された。
そこで、被告は同日午後八時頃、同区内の東武鉄道東上線成増駅前の喫茶店「宮殿」において、自衛官の制服に着替えた新井、島田と共に待機したが、菊井からの連絡により、その日は計画が中止された。
(七) 被告は同月一八日頃菊井から、都内世田谷区烏山地内の喫茶店「ミラノ」に宗像と共に呼び出され、菊井より「もう一度手伝つてもらう。」と言われて、これを断わつたところ、菊井の下宿において、「広田のようにしてもらいますよ。広田は、今、ある所で自己批判させている。」などと脅されたのでやむなく、朝霞駐とん地から奪取された銃の運搬と銃を運搬するための入れ物を持つてくることを引き受けた。
そして、被告は同月二〇日頃、宗像と相談し、銃の運搬に用いるため縫いぐるみ人形を作ることに決め、両名共同して、右人形を作成した。
ついで、同月二一日午後四時頃、被告は菊井の指示に基づき、宗像と共に下宿の自室から都内新宿区新宿七丁目地内の国鉄新宿駅西口の喫茶店「タイムス」まで、自衛官の制服、ヘルメツトの入つたボストンバツグ、縫いぐるみ人形、布袋を運搬し、菊井に手渡した。
(八) 菊井、新井、島田の三名は、同月一五日から二〇日頃にかけて、都内新宿区内西武新宿駅近くの喫茶店「ヴイレツヂゲート」ほか一か所において、陸上自衛隊朝霞駐とん地襲撃計画の実行を期し、新井、島田が自衛官の制服を着用し同駐とん地に侵入し弾薬庫に近づき、警衛中の自衛官に対し非常見回りだと申し向けて弾薬庫の扉を開けさせ、右自衛官のすきを見て同人に包丁を突きつけ抵抗を受けた場合は、同人に傷害を負わせてでも銃器を強取する旨の共謀を遂げた。
そして、同人らは、同月二一日午後三時頃、前記喫茶店「タイムス」に集合したのち、島田の運転する普通乗用車に新井が同乗し途中、都内板橋区成増地内で両名共自衛官の制服に着替え、同日午後八時三〇分頃埼玉県和光市広沢一の二〇番地所在陸上自衛隊朝霞駐とん地に到り、自衛官を装つて、同駐とん地内に侵入した。
前記乗用車から降りた両名は同日午後八時四五分頃、右駐とん地七三四号隊舎東側路上において、折から動哨勤務中であつた陸士長一場哲雄(昭和二五年二月二八日生)と出会うや、いつたんは、やりすごす風を装いつつ、不法侵入の発覚を防ぎ、また、同人の携帯するライフル銃を強取することを決意し、新井において一場に接近し、同人の腹部を右手拳で殴打し、同人に組みつき、膝蹴りを加えて格闘となるや、島田において、所携の前記柳刃包丁を振つて一場の右胸部などを数回突き刺し、よつて、間もなく、同人をして、右胸部刺創に基づく胸腔内出血などにより死亡せしめた。島田らは、右格闘中付近の草むらに落ちたライフル銃を捜したが、発見できなかつたため、右駐とん地内に侵入した証拠品として一場が着装していた警衛腕章を盗取し、前記乗用車で逃走した。
(九) 一方、被告は、同日午後八時三〇分頃、菊井の指示により、宗像と共に前記喫茶店「宮殿」において待機し、朝霞駐とん地内に侵入した新井から、これから行く旨の電話を受け、菊井に伝言した。そして新井らが一場陸士長より奪取した前記警衛腕章の入つた縫いぐるみ人形を新井から受け取り、これを下宿の自室に運搬し、右腕章の血痕を水で洗い落として、これを部屋の畳の下に隠した。
以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠略>は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
二 そこで、被告が、一場陸士長の死亡につき、島田らの共同不法行為者として責任を負うか否かにつき判断する。
(一) まず、原告は被告が島田らの強盗殺人の意図を知りながら、これを認容し、同人らの右犯行を幇助したと主張するので、この点について検討する。
なるほど、前記一に認定したとおり、グラントハイツ襲撃の失敗後、被告は菊井が「包丁を見て人を殺すと思わなかつたか、脅しただけでは向こうもおとなしくしているか。」と言うのを聞いていること本件犯行がグラントハイツ襲撃に引き続く一連の武器奪取計画の一環であることは、理解していたとみられること、からすると被告に原告主張のような認識があつたのではないかと思われるふしもあるが、他方本件犯行を含む武器奪取計画は殆ど菊井一人が立案し島田、新井らも菊井の指示どおりに動いていたにすぎないと見られること、被告には、犯行の具体的内容は終始知らされず、目的、理由の説明も受けぬまま、個々の補助的行為を命じられていたこと、菊井らの事前共謀の内容としては、自衛官を殺害することまでは含まれず、島田、新井は本件犯行現場に及んで卒然確定的殺意を生じたものであることなどを考えると、被告について本件犯行に加功する際、強盗殺人の幇助の認識まであつたとは認められない。
したがつて、この点に関する原告の主張は採用することができない。
(二) ついで、原告は、被告が、島田らが武器強奪の過程において自衛官殺害に及ぶこともありうるとの認識を欠いて、同人らの幇助をなしたことは、通常人として用いるべき相当の注意を欠いていたと主張するので、この点について検討を加える。
前記二(一)のとおり被告は、本件犯行計画については、朝霞駐とん地から武器を強奪するとの点は明確に認識していたものの、右計画の具体的内容については知らされておらず、また、島田らが事前に自衛官殺害までの謀議は遂げていなかつたのであるが、グラントハイツ襲撃計画案中に警備員殺害が共謀されていたことは前記一に認定のとおり広田、菊井より聞き知つていたし、本件犯行が右グラントハイツ襲撃に引き続いて行なわれるものであることは認識しており、自己の買い求めた柳刃包丁がそれら犯行に使用され、また、自衛官が島田らの不法侵入に気づいた場合は抵抗に会うであろうことは、たやすく推測しえたはずである。
とすると、被告は相当の注意を用いれば本件自衛官殺害行為を認識しえたものというべきであり、被告は右注意を怠つて前記一(七)、(九)のとおりの行動をとつて島田らの犯行に加功し、一場陸士長殺害に寄与したのであるから、島田らと共に、共同不法行為者としての責任を負うものである。
三 <証拠略>によれば、原告は一場陸士長の両親で、かつ、相続人である一場保一、同ひふみの両名に対し、一場陸士長の死亡が、公務上の災害に該当するものとして、防衛庁職員給与法二七条一項、国家公務員災害補償法一五条、一八条により、所定の手続を経て昭和四六年八月二三日遺族補償一時金として一五三万八〇〇〇円及び葬祭補償九万二二八〇円を、同年一二月二五日防衛庁職員給与法の一部を改正する法律(昭和四六年法律一二三号)の施行に伴い、一場陸士長の俸給額が改正されたことに基づき遺族補償一時金二二万円、葬祭補償一万三二〇〇円の追給分をそれぞれ支払つたこと、一場陸士長は死亡当時独身で、その相続人は右保一、ひふみ以外にはなく、この両名が被告らに対して有する不法行為に基づく損害賠償の請求権の金額は、少くとも原告が右保一、ひふみに支払給付した金額以上であることが認められる。
そうすると、被告は、原告に対し、国家公務員災害補償法六条一項に基づき右支払金額合計一八六万三四八〇円及び内金一六三万〇二八〇円に対するその支払の翌日である昭和四六年八月二四日から、内金二三万三二〇〇円に対するその支払の翌日である同年一二月二六日から、それぞれ支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。
四 以上のとおりであるから、原告の被告に対する本訴請求は理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 薦田茂正 小松一雄 石原敬子)